しばらくブログから離れていました。
1月10日に東京に単身赴任中の夫が、くも膜下出血で緊急入院しました。
突然の事に、どうしてよいか分からず、怖くて怖くてたまらなかった。
私は、その日東京へ向かい、向かっている途中で手術が行われていました。
手術は、とりあえず成功して、左の麻痺があるようでしたが意識はあるとのことで、ほっと胸をなでおろしました。
もし、身体に障害が残ったとしても、私たちの事を覚えていて、生きていてくれればいいのです。
もう会えないなんて絶対に嫌でした。
くも膜下出血は、出血が起こってから二週間は、血管攣縮が起こる可能性が高く予断を許さない状態とのことでしたので、私は、数日東京で待機していました。
しかし、面会も、術後の一度だけ命に係わるし北海道から来ているからということで、特別許可していただき、少しだけ夫と会えましたが、その後は面会は出来ないと言われました。
そして、夫は少しずつ順調に回復していたようだったので、家も、丸投げで出てきてしまったし、用事を済ませてからまた東京に行こうと、一度北海道に戻りました。
二週間経ってICUから一般病棟へ移るまでは、心配で不安・・・。
でも絶対大丈夫と思っていた方がいいと思い、病院との連絡で、退院後転院するリハビリ病院のお話も出ていて、退院の時夫と会えるのを楽しみにしていました。
そんな中、娘は病院にお願いして、1月20日の夕方に一度面会させてもらえることになり、前日に東京に向かいました。
夫は、娘の話を看護師さんにたくさんしていたらしく、会えるのをとても楽しみにしていたようでした。
しかし、1月20日の朝。
病院から再出血したとの連絡があり、私は急いで東京に向かいました。
一度心臓も止まり、呼吸も止まったため、人工呼吸をしているとのこと。
夕方面会するはずだった娘は、すぐ病院に駆け付けてくれました。
そして、辛い状況を知らせてくれました。
状態が落ち着くのを待って、検査して手術をしようとしたが、脳が腫れていて検査のカテーテルも途中までしか入っていかず手術も出来ないこと。
もう、できる処置がないこと。
その後、今日で34日目になります。
いつ呼ばれるか分からない状態が続いています。
娘と、ずっと東京にいて、毎日1時間だけ面会させてもらっています。
慣れない東京で、夫の住んでいた部屋で生活しています。
せめて地元だったら・・・と思います。
辛くて悲しくて長い長い日々です。
娘と二人きりで、絶望と思い出と現実を、行ったり来たりしながら、消耗する毎日の中、兄や母、義父や義母、先生、看護師さんなど周りの温かい言葉や気持ちに支えられて、なんとかやってきました。
ツナとウリは、義父と義母が家に居てくれて、とても可愛がってもらっています。
夫は、とても長い間、奇跡のように頑張ってくれています。
私たちのことが、心配なのかな?
まだまだ会いたいからなのかな?
私も娘も夫のことが、本当に大切で大好きなのです。
夫も同じはず。
そして、夫は私たちに、これから先進んでいく為の時間をくれたような気がしています。
何故なら、あまりに突然の出来事に、何もできなかった後悔と、二度と戻らない夫との時間に涙し、自問自答を繰り返した長い日々。
そうして今、逃げなくなったような気がしています。
怖いけれど、現実と向き合えるようになってきた。
だから、今日ブログを書けたと思います。
けれども、またしばらくはブログをお休みして、落ち着いて書けるようになったら、またその時の思いを綴りたいと思います。